北澤浩一の「とんかつ喰いたい。」

北澤浩一さんブログの中で、私がとくにお気に入りなのが

August 12, 2006
「緑色の坂の道」vol.3723    

とんかつ喰いたい。

■ という題の随筆が、東海林さだおさんにあって、正確には「とンんンかンつン、くンいンたンいン」である。
 ある日突然そうなるのであって、いてもたってもいられず、上野界隈に出陣してゆくのだが、ま、それは秋になってからのことにしておこう。
 
■ 大体、洗車をするととんかつ定食の「上」が食べられる。
 考えてみれば鰻もいけるのであって、吸い物も付く。
 洗車って高いなあ。
 いやみなさま、東京というのはそういうところで、自宅の庭先でホースから水という訳にはゆかないのですね。
 駐車場だって酷いしよぉ、と泣いても仕方ないのであるが、地方都市にゆくと案外に新車や外車に友人や後輩たちが乗っているというのは、そういう理由もあるのである。
 人生をそこに注ぎ込める瞬間というのが数年続くのであった。
 大体、配偶者を捜している間ではあるのだが。
 
■ 洗車もせず、シレっと乗っているのも格好いいものではあるのだが、以前、銀座裏に停めていて、埃だらけの車体に鯨の絵を描かれたことがあった。
 それで妙齢を待っていたのだが、あら、これどうしたの、と笑われた。
 たまには洗いなさいよね、と言われたが、だってとんかつ喰えるんだもん、と口の中でぶつぶつ言う。

 
洗車しなければ、その金で「とんかつ」が食べられるという、ゆ〜もあ溢れる文章ですね。
とりあえず、ネットでパクったとんかつ画像でも貼っておきます。
上野「双葉」
 
さて、「とんかつ」に関しては、北澤浩一さんに多大な影響をうけたにも関わらず、鮫島とかいう子分と一緒に様々なブログに嫌がらせを繰り返していた黒崎夜話の黒崎さんも、当然インスパイアされた文章を残しております。

2006年09月02日
黒崎@北へ帰る豚の群れは誰も無口で
海鳴りだけを聞いていた
AMGはエアクリーナを交換した。
2000でオイルを換え、それがバルボリンだったので始めから色が黒かった。
飛行場の傍に停めておくのが嫌で、仕方なく電車を使ったこともある。
これでとんかつ喰えるな、と思いながら時々洗車をする。
すると雨になるのである。
 
2006年07月25日
黒崎@酒場の馴れ合い
この酒一杯で、上とんかつ喰えるな
と思いながら嘗めている。
 
2006年07月07日
黒崎@E28のM
車など、どうでもいいという気もするのだが、この洗車料金でとんかつ喰えるなと何時も思うのだが、なかなかそうはゆかず、ええい面倒だとトヨタを捜そうとする。

相変わらず悪質なパクり具合ですね。
と思ったら、初出は黒崎夜話の七夕の日なんですね。これはちょっぴり意外ですw
とりあえず、どちらがパクったかは留保で要追調査ですね。
 
更に「とんかつ」絡みで気になったのが

2006年06月16日
黒崎@雨のペルノオ
 
秋葉原にもお稲荷さんがあって、それは確かとんかつ屋の傍だが、味の割には高いなと思ったことを覚えている。
昔、読捨新聞の文化部記者がそれを褒めていて、ま、そんなものかなと思った覚えもある。

「読捨新聞」という表現は、間違いなく「読売新聞」を揶揄してのことだろう。
読売といえば、北澤さんにYominetやブランド戦略のお仕事をくれた偉大な企業。
黒崎某はこの事に関しても、なにがしかの鬱屈した感情をもっていることが伺える。
 
更に蛇足になってしまうんですが、
黒崎夜話2006年09月02日の「黒崎@北へ帰る豚の群れは誰も無口で」
この、ゆ〜もらすなタイトルですが、
北澤ブログDecember 30, 2005において、
「■ 北へ帰る豚の群れは誰も無口で 海鳴りだけを聴いていた」
というタイトルで先に使われておりました。
もちろん、こんなゆ〜もらすな言語感覚は
北澤浩一さん&黒崎さんコンビだけのようです。
 
ドウシタラヨカトピア
 

写真家ともいう。


長井さんを撮影したロイターのカメラマン、ピュリツァー賞受賞
昨年9月にミャンマーで反政府デモを取材中に殺害された日本人ビデオジャーナリスト、長井健司さんの姿を撮影したロイターのカメラマン、アドリース・ラティーフ氏が速報写真部門を受賞した。・・・

確かにこれは驚くべき一瞬である。狭い構図の中で、軍事政権による容赦の無い弾圧を告発するとともに、それをビデオに収めようと最前線に立った長井さんの精神性をも写し込んでいる。もちろん、選考者には凶弾に倒れた同業者に対する尊敬と、深い哀悼の気持ちもあったに違いない。
 
 
さて、写真の持つ可能性。という意味で、私が注目しているカメラマンが二人いる。
一人はモチ北澤浩一さんで、もう一人はズラMIXさん。
 
まずは北澤さん。

北澤 浩一:kitazawa@kitazawa-office.com
「Give A Whistle」http://www.kitazawa-office.com
コピーライター/デザイナー
写真家ともいう。

プロフィールから分かるように、北澤さんは写真家でもあります。
最近衝撃を受けた写真がコレ。*1

奥行きを感じさせない極まった凡庸さ。狙ってなかなかできるレベルではなく、確かな技術に裏打ちされていることが瞬時に理解できる。
 
次に、新進気鋭のカメラマン、ズラMIX。*2プロフィールは次のとおり。

1958年東京都出身。
東京都立国立高校卒。早稲田大学政治経済学部政治学科卒。ネットワークプランナー。
データベース検索技術者。
1981年スタジオマン、カメラマンを経て株式会社ジャ○ンサイエンスプランニング入社。
イベントプランナー。

「カメラマンを経て」と少し謙遜している感もあるが、
この写真*3を見たら、その認識も一瞬で吹っ飛ぶであろう。

戦場か?と思わず錯覚を起こすような自然な手ブレ。
まさか明るい室内でこんな画面がブレるなんて!という感嘆も、全ては狙い通りなのだろう。まさに計算されたカオスである。
 
以上。すべて適当。
ドウシタラヨカトピア

*1:被写体のプライバシーに配慮し、一部モザイクを入れております。

*2:HIROMIXとの関係は不明。多分無い。

*3:被写体のプライバシーに配慮し、一部モザイクを入れております。

パブリッシングの新しい形態が実現

wakame19772008-04-11

行きつけの中華料理屋さんの本棚に並んでいた「日経デザイン」*1
その巻は特集でPDFが扱われており、コピーライター北澤浩一さんの名前も見つけることができたので、該当個所を引用してみたい。

■パブリッシングの新しい形態が実現
 リンクをたどって行き着いたのが、PDFで表示されるハードボイルド小説「夜の魚」(yoru-no-uo)である。24ページにわたって行き届いたデザインが続く。目を楽しませるいろいろな表現上の仕掛けが施されている。表示スピードも早い。あちこちのサイトで印刷物をそのままPDF化したものばかり目にしてきたので、透過光で見る美しいビジュアルには驚いた。
 さっそく作者の北澤浩一氏(本職はコピーライター)にメールで色々聞いた。小説に対する時代の要求は、スピード感を持つ展開にあると考える北澤氏は「基本的にPDFというメディアの特質を活かし、文章と画像とデザインは等価であるという認識に立ちました。あたかも映画の一場面を見ているかのような、あるいは1枚のポスターを眺めているようなレイアウトを心掛けました。フルスクリーンモードで流した場合、デザインと画像だけでも十分楽しめることを目的としたのです。背後に音楽が流れれば申し分ありません」と言う。
 はじめはHTMLで表現したのだが、どうしてもテキストは横書きしかできず、受け手の環境によって見え方が違ってします。「オンラインで小説のような長い文章を表現しようとする場合、読みやすさや豊富な表現力、扱いと再配布の容易さという点で、Acrobatの出現は画期的なものでした」と待ちかねていたように購入したそうだ。
 「インターネットの時代に入り、私たちは単なる文字情報だけでは満足できなくなってきています。ネットサーフィンをしていると、その際との印象は往々にして最初に視覚的に飛び込んできたものによって決まってしまうことがままあります。文章の内容そのものが、そのレイアウトや背景に付加されている画像などによって無意識に推理され判断される。その上で、腰を落ち着けて読もうかどうかが決められてしまう。情報の速度ある展開。ここには再配布の容易性も含みます。同時に、従来のHTML形式では満たすことが出来なかった情報の密度と言う側面があります。自在に拡大縮小ができますから、長文であっても飛躍的に読みやすくなります。レイアウトもそうですが、含ませるが画像は圧倒的に高品位なものが選択できます。情報の密度と速度。現在、オンライン上で不可欠の要請となりつつあるふたつの要素を、PDFはかなりの程度満足させるものだと言えます。これが、私がオンラインで小説を発表する手段としてPDFを選択した主たる理由でした」。
 「夜の魚」は、読売新聞社の有料会員制インターネットサービス「YOMINET」の中の「文芸フォーラム」にある。このフォーラムは外部に公開されており、パスワードに英文小文字「guest」と打ち込めば誰でも入れる。
 北澤氏は、氏の他の作品と会わせてCD-ROM化する準備を進めている。また、紙の媒体でも掲載したいという。オンラインのPDFをほとんどそのまま印刷物に移行させるという、DTPの延長線上のPDFとは逆の試みである。

 
小説をPDFで読むのが当たり前になった今となっては・・・・・・・
あ、そんなこと無いか。まぁ10年前の発言ですからね、ズラMIXにおけるセカンドライフみたいなもんでしょ。
 
ドウシタラヨカトピア

*1:1998年4月号「PDFは本当に出版・印刷を変えるか」柴田忠男 P94〜99

北澤浩一師範代

様々なブログに嫌がらせを繰り返し現在休眠中の黒崎さん。
その黒崎さんに少なくない影響を与えたことで知られるコピーライターの北澤浩一さん。
そんな北澤さんは青瓶MLで次のようなコメントをしている。

青瓶 2485
     歌うこころで。
■ みなさんはじめまして。
 ISIS編集学校「月夜見按配教室」の師範代をつとめさせていただきます北澤です。
http://www.melma.com/backnumber_65121_380456/
 なぜに、月夜見であり按配であるのか。
 ということについては、月を見上げるような余白をもってこの編集稽古を続け
てゆきたい、という気分が含まれています。
 また、編集とは按配をつけることでもある。
 と、個人的には考えてもいるからです。
 
■「脇見をしてほしい学校」と、松岡校長はISIS編集学校の案内に書かれています。
 脇見、脇道。おうちがだんだん遠くなる。

 歌うこころで。余白をもって。
 幅が狭くなってしまったら、そこは流れで。
 一年という期間ですから、様々な波もあるでしょう。
 月の満ち欠けもある。
 
 始めから完全な回答などできるはずもなく、それを追うのも疲れるものです。
 稽古はリッパである必要はないんです。
 私も野暮を怖れず、じたじたと案内役をさせていただく所存です。
(ISIS編集学校「月夜見按配教室」開校の挨拶。北澤筆)
 01_01_19

また北澤さんのプロフィールには次のような記述がある。

1958年生。慶大卒。広告制作会社等を経て独立。

'97年1月より2000年10月末まで、読売新聞社のインターネットサービス yominet 「文芸フォーラム」を業務委託され執筆・運営。
作品群、「緑色の坂の道」は「yahoo! Japan」で五つ星。
松岡正剛主催「ISIS編集学校」師範代。

 
調べてみると、ISIS編集学校というのは、松岡正剛という人がネット上で開いているカルチャースクールのようなモノらしい。
公式サイト: http://es.isis.ne.jp/
 
月夜見按配教室を調べてみると、こんなページがみつかった。

師範代が考えたネーミング案をもとに、松岡校長が命名しています。
・・・・・・
月夜見按配教室  太田香保(東京)
・・・・・・

「月夜見按配教室」の隣にある「太田香保」の名前。

「太田香保」は上の写真に写っている女性の名前のようである。
この方が師範代であるとしたら、北澤さんの主張とは食い違う。
 
で、とりあえず、調べを進めてみると。
こんなページの存在を知った。

ビン・ラディンの挑戦!
『人権をひらく―チャールズ・テイラーとの対話』(藤原書店、2005年)のあとがきにも書いたのだけど、わたしは2001年、松岡正剛さんが主宰する編集学校に学んだ。
わたしが所属していたクラスの名前は「月夜見按配教室」
 
昨晩は、この教室の同級生たちと忘年会。
もんじゃ焼きを食べながら、ワイルドに盛り上がった(^-^)。
・・・・・・

このサイト主(森田明彦氏)が著した『人権をひらく―チャールズ・テイラーとの対話』のあとがきに、「月夜見按配教室」に関する記述があるらしい。
ということで、さっそく探し出して確認してみた。

あとがき

・・・・・・
 その頃、わたしは仕事の傍ら、松岡正剛氏が主宰する編集学校で学んでいたが、同じクラスのメンバーに対して九月十三日付で以下のメールを発信している。

・・・・・・
 松岡正剛さんが言われる『ワールドモデルが病弊している』というのも、こういう事態を表現している言葉のような気がします。
 まあ、でも、大きなパースペクティブで考えれば、そういう歴史的瞬間に立ち会えたことは、本当に幸せなことで、自分としても、日本文化と普遍的価値みたいなことを、もっと良く勉強すべきなのだろう、と思います。」
 この時に芽生えた問題意識に基づいて『ビン・ラディンの挑戦』と名付けた思想小説めいた習作を編集学校の物語編集術の課題として書き上げた。全体で三万六千字程度のこの作品デハ、ビン・ラディンが投げかける?西欧社会で生まれたナショナリズムの本質、?西欧社会で誕生した人権理念の偏向性、?一神教としてのキリスト教の問題性という三つの問いを巡ってアーネスト・ゲルナー、ジョン・ロールズ弘法大師空海が自らの意見を開陳するという形で物語が進行する。この稽古を通じてさらに広がった思想、哲学への関心が、翌年わたしに早稲田大学大学院社会科学研究科(博士後期過程)へ進学することを決心させたのだ。その意味では、松岡正剛校長先生とわたしが所属していた月夜見按配教室北澤浩一師範代太田香保師範、そしてクラスメートの川上さん、田中さん、竹川さん、西川さん、矢内さんはこの本の産みの親である。
・・・・・・

なんと、北澤浩一の名前を発見!太田さんが師範、北澤さんが師範代という関係であることが、これで確認ができた。
黒崎さんや鮫島さんのような悪質なネットゴロに影響を与えていた反面。森田さんのような極めて優秀(そう)な研究者に対しても大きな影響を与えていた北澤さん。因みに森田さんのことを若い学生さんだと勝手に思いこんでたけど、今調べたら実は1958年生まれの49歳。北澤さんとタメだったんすねw まぁどうでもいいや。
 
さて、北澤浩一さんとISIS編集学校の関係はその後どうなったのか?
少なくとも「月夜見按配教室」というイタイ名前の教室以降の関係は確認できない。
そんな中で、北澤さんのブログで興味深い記述があった。

February 15, 2005
「緑色の坂の道」vol.3004
 
       二月。
■「知の二枚目」とでもいうべき方が主催する編集の学校が、あるIT企業の子会社になった。私もその黎明期、そこのセンセだったものだから、なんとも言えない気分でいた。
 誤解を恐れずに言えば、編集というキーワードで世の中や今までの歴史そのものを再構築しようとするのは、試みとしては分かるのだが、どこか無理があったような気がしている。
 ある種衒学的な表現が、一定の階層の女性達に受けた。
 旦那は社食、奥様は美術館というような、やんごとなき高学歴の方々である。
 会合の仕切り、撮影、それをまた再利用など、アウトプットの仕方には学ぶべきものも多かったのだが、そういうものが一定部分ショッキングだったのはやはり70年代から80年代初めにかけてであろうかという気もする。
 すれっからしの男どもからすると、やや手の内が見えてしまってもいて、あざとさの手前にも見えることも、ままあった。
 さわやかに笑う姿だけではなく、原稿の山の中で憮然とした顔をしたその人の姿が一枚でもあれば、と何度か廻りに口にしたこともあるが、渦中にいると声は遠い。

要するに松岡とかいう人のことが気に入らないらしい。
まぁ人間生きていれば色々あります。
 
ドウシタラヨカトピア

これマジ?

wakame19772008-04-08

なにげにネットサーフィン(笑)してたら、こんなの発見!
 
とりあえず一覧
 
どうも以前Amazonウィッシュリストから本名バレした人の一覧らしいんだけど。
その中でこんな情報が!

久保田浩一 黒崎夜話 コピーライター北澤浩一のバトル用ブログ

黒崎夜話ブログ主の本名が久保田浩一で、コピーライター北澤浩一のバトル用ブログとなっている。
久保田という苗字は、以前2chに書き込まれていたのを、エントリーで取り上げたことがあったけど。
それを裏付ける情報ということなんでしょうか?
ただAmazon自体は既に対策済みで確認することができません。
どなたかご存知の方がいたら教えてください。
 
ドウシタラヨカトピア

追い込まれて海の幸に・・・

wakame19772008-03-10

 
サイコさんのブログで知った。
掲示板での某スレの某レス。
 

575 朝まで名無しさん [] Date:2008/03/10(月) 02:05:10 id:VMtZF2LK Be:
 
福井君の副アカ、wakame1977みて呆れた。画像無断転載はじめちゃったね。
それだけ追い込まれてるんだろうな?
きっこ本売れ行き悪いみたいだし、台湾からアクセスされて勝手に内容書き換えられてるとか本気で書いているし。
>520 522あたりは御堂岡側からの撤退なり距離おく宣言だろ。半分イッてるが。

 
無断転載は事実ですね。許可の取り方が分らなかったのでw
つーかこのブログは餃子写真とか以外、基本的にパクリですよ。
ま、リスペクトありきですし。
今までと同じように、クレームが来たら直ぐに削除&謝罪しますよ!
 
メンスッ!  じゃなくてメンゴッ!ってね♪
 
しかし、レスはその他の部分がさっぱり意味不明ですね。
私が「きっこ」だったり「福井」だったり「御堂岡」だったりするんでしょうか?
未だそんなこと言ってる、TOO SHY SHY 暴威 がいるなんてw

 
ドウシタラヨカトピア