おまえはどこのワカメじゃ?


ダダ漏れコーイチさん(49)


IT(石立鉄男)革命により、インターネットが急速に発展したわけだけど。
先日も書いたような不思議な現象が起きている。その原因は私にはわからない。
しかし「スレ」にあるようなビリーバーの信仰告白を読むと薄く笑えてくるんです。
とりあえず市民社会の鉄則として、類似箇所をまとめてみることにしよう。
強調は引用者。


 緑色の坂の道2006年7月 ※北澤浩一さんのブログ
 黒崎夜話2006年7月 ※黒崎さんのブログ

7月7日
       無駄の効用。
■ 薄い頭痛がして、夏風邪をひいたようだった。
 しかし〆切があったりして、PCの前に座っている。全くやる気がしない。
 緑坂の読者はご存知だろうが、私は比較的車のマニアである。
 しかし当節流行のものではなく、一つ前か二つ前、その欧州車かアメ車が好きだという癖があった。厄介を呼び込む。それでいて短時間に乗り換えるということは滅多になく、10万キロを超えて、ああエアコンのコンプレッサーが駄目になってますね、タイミングベルトも交換かな、というところまでひっぱるのが今までの常であった。
 要は潰すのである。気にいると同じ車を二台続けたこともあった。

7月7日
黒崎@七夕の夜
夏風邪をひいたようだった。
身体がだるくて仕事がしたくない。若かった日々はもうかえってこない」
と、書くと「死の棘」の作者、島尾敏夫さんの日記になる。

7月8日
       自動車ショー歌
■ 小林旭を聴きながら、第三京浜を流していた。
 ノー天気さが夏にふさわしい。
 ところが作詞が確か星野さんで、御大というかカミサマみたいな方である。
 隣を新しいメルセデスが飛ばしてゆく。
 まだ時間が早いので、覆面がいることもあって、私は都筑でトイレに入った。
 夏はうろつくことになる。

7月7日
黒崎@七夕の夜
昨日、第三京浜のあたりを、小林旭を流しながら走っていた。
曲名は「お世話になったあのひとへ」
自動車ショー歌」などである。


7月08日
黒崎@今頃の港
マドロスに惚れるならフランス映画
シガレットくゆらせて ジャズなど聴いて

とかいうノー天気な歌が小林旭にあるのだが、作詞は確か星野さんである。
今頃の本牧界隈は、別にどうということもなく灰色で、バブルの頃に建てられたショッピングモールが黄昏れている。
昔悪さをしにいったBUNDホテルは既になく、安売りのスーパーになっているのが時勢だ。

7月8日
       ひとつ前のAMG
■ と、長々と書いてきたのだが、結局はメルセデスを選ぶことになった
 ひとつ前のAMG。その最終型である。
 型番などは書くのを止めておく。排気量もである。
 

■ 北澤がメルセデスというのは、私自身も不思議である。
 最も似合わないと自らも自覚し、また廻りからも言われていたからだ。
 ここで90年代のAMGの歴史について語らねばならないのだが、まあ、エンジンとシャーシの最もバランスが取れた型番。その3万キロ余のものが見つかったのである。
 相場よりも随分だったが、この辺りの車は年式よりもその程度だという。
 BMWアルピナのように敏感にハンドルが廻るというものではなく、定番の安定志向のものであるのは、30分走っただけで分かった。50キロ程度では脚が硬い
 調整式のビルシュタインが組まれている。強化されたブッシュも入っている。
 これは横浜にあるその世界では知られたところで組まれたもので、私は別のメルセデスを見にその店にいったことがあった。
 ビルシュは一番柔らかいところから詰めてゆくことになるだろう。ホイルは新しい型番のものに交換されていた。あの年式のAMGホイルの塗装は弱く、細かなひび割れが例外なく生じている。
 この型番はライトが暗いのだが、キセノンが入っていたので後からいじる必要はなさそうである。夜でも薄いサングラスの私には、ライトは命なのだ。

7月7日
黒崎@七夕の夜
昨日、第三京浜のあたりを、小林旭を流しながら走っていた。
曲名は「お世話になったあのひとへ」
自動車ショー歌」などである。
この車ももうじき終わりで、その後はひとつ前のAMGに変わる。
型番は書かないでおこう。いずれにしても、ややマニアなそれである。
走行が3万台エナペタルのビルシュが入っていて、ロイ氏のところのブッシュが組まれているので、40キロ程度ではやや硬い。リッター3500くらいのオイルが8くらい入るそうだ。デフの辺りはまだいけるのだろう。
私は走り屋ではないが、湾岸ができる前、C2が開通する手前には、首都高速内回りを漠然と流していたこともあった。
霞ヶ関トンネルでは減ったタイアの故か、尻が流れるのです。
タックインとも言う。
でも100を超えての斜め横というのは、生きているって素晴らしいと思わせるものがある。


7月25日
黒崎@大黒で

このところ車の話を書いている。
代替したAMGは、首都圏に生息しているのがそう多くないので、型番や色を書くと特定されてしまう。
首都高速のどの入り口から入ったか、などで大体見当がつくことと同じ理屈だ。


7月12日
       梅雨時のひばり。
■ 昭和23年、美空ひばりは「星の流れに」を歌って舞台にデビューする。
 場所は浅草。
 時に煙草をもつしぐさ、時に涙ぐむ姿。
 この時ひばりはいくつだったのか。


■ そんなことを漠然と思い出しながら、CDを聴いていた。
 今年の梅雨はすこし変わっていて、東京は雨が少ない。
 海の傍もそうであろうとおもわれる。
 

7月12日
黒崎@ひばり

エレニ姐が、夏バテのようである。
念力でタウリンとヒジキの煮物でも届けてやりたいものだが、そうもゆくまい。
けろやん氏が茗荷がいいと言っていたが、彼は幽体離脱できるだろうか。


タウリンを飲みながら、仕事をしていた。
自宅に戻ってきて、美空ひばりのCDを聴く。
「わたしは街の子 巷の子」
チマタの子、と言ってしまっているところが凄い。
白いJazzボーカルもいいんだけどね、ひばりさんの歌は時々基本だと思っている。


7月20日
       マニアなバランス。
■ もっと馬力のある奴はあるだろうな。
 と思いながら首都高速のコーナーに入る。
 今までFFのセダンだったものだから、ついタックインを想定してしまう。
 これは違うよ、その前の感じだよ。
 と、アクセルを踏んだりするのだが、小ぶりなので車線が広く感じる。
 トン、トンとブレーキを踏んで、昔乗った空冷911のそれとよく似ていた。
 革シートからカメラバックが下に落ちる。
 こうやってローターが削れていくんだよな、と思いながら、パーキングで缶コーヒーを飲んで戻る
 何をしているのか。
 何もしていない。


       水際で。
■ 車がきたので、夜になるとテストしていたりした。
 雨上がりなので、尻が流れる。
 純正はポテンザなのだが、これがピレリのP0辺りだとどうなのか。
 ステアリング・ダンパーはまだいけているのか。
 横浜、水上警察の前に「薬物・拳銃を水際で防ぐ月間」とある。

7月21日
黒崎@水の日

ここ数日、夜になると ひとつ前のAMGを走らせている。
いわゆるテストということなのだが、昨夜はつい朝になってしまう。
コースは都心の首都高からC1とC2、それから湾岸への道のりである。
前の車がFFだったものだから、ついタックインをかけてしまう。
そうではなく、滑ったら踏むのだと思い出すのに時間がかかった。
緩やかに斜め。


トンネルの下りで昔の新幹線の速度を出してみる。
ちょっと振れる。
エアか。
それとも、ステアリングダンパーがやれてきているのか。
20キロ落とすと安定して、大黒埠頭へと曲がった。

7月10日
       飽きる。
■ ここで告白すると、私には純粋に趣味と呼べるものがない。
 スポーツ観戦もゴルフも、ほとんど興味がなく、酒にしても普段手に入るものの中で一番旨いものが基本になっている。
 複数台のカメラを持っているが、そしてその中には普段滅多に使わないライカなども含まれているものの、これは半分が仕事なのでイタシカタがない。
 仕事は結果が全てであるから、触っていて質感の乏しいデジタル一眼なども使う。
 ここだけは、というような時、それは滅多にないことだけれども、コダクロームを入れたニコンを持ち出してレリーズを切ったりしていた。
 が、総じて私は機材にはそれほど拘らない方だと思っている。

7月21日
黒崎@不良の安全
本牧の辺りで漠然として、港の辺りを一枚撮った。
三脚などは使わず、カメラをそのままコンクリの上に置く。
そのために、カメラの底にはガムテープが貼ってある。
普段、一眼レフのデジカメを使っているのだが、この場合には古いF-1である。
コダクロームの64を入れ、グローブボックスに入れっぱなしにしてある。
当時のキャノンのFDレンズは輪郭が柔らかく、色の再現性もほぼ統一はされていた。
が、AFの時代になってから、私はニコンを使うようになっている。


コダクロームというのは、ドイツ表現主義のような色をしていて、風景とか車とか、重みのある物を写すに適している。
妙齢をそれで撮ると、しばらくは恨まれるだろう。
そんなことはどうでもいいのだが、川崎の辺りで降りて不味い牛丼を半分だけ食べた。


しかしさぁ。
私は最初に「緑色の坂の道」を昇った段階でスグ気付いたけどね・・・


さぁーて、新潟物産展でも行ってくるか!!*1


えー、しばらくこの騒ぎを楽しんだら、また「 ことのはシーン 」からは去りますので・・・

*1:6月14日(木)〜19(火)の6日間、池袋の東武百貨店