バトルフィーバー

2ヶ月くらい前のスレに次のAAが貼られていた。


当然、ここで茶化されているのは、
コピーライターの北澤浩一さんに強い影響をうけまくっていたのに、
何故か有名ブロガーに嫌がらせ行為を繰り返していた黒崎夜話の黒崎さんの
次の発言だろう。*1
黒崎夜話

2006年06月04日
黒崎@草むす屍
#ここでひとこと
のブログはバトル用に作成している。
ここで私は一度も、ジャーナリズムを名乗ってはいない
黒崎は悪役で、口と性格が悪い。だからどうしたという声もあるが。

2006年05月19日
黒崎@透けた縞

巨大掲示板が匿名であるというのは、実は幻想で、何かあればログを出す前例が山ほどある。ブログはフリーメールからでも登録でき、またIPなどというものも実は当てにはならない。そんなことはネットを暫くやっていれば分かってくることである。
このブログも、バトル用に作っただけであって、目的を達成すれば削除するなり冬眠に入る。1954年の「ゴジラ」を想起していただきたい。
あのテーマソングを聴きながら、深夜の高速を西に向かうと気分である。
あるいは、大映の「眠狂四朗無頼控」のサントラだろうか。

さて、このバトルという単語であるが、正直あまり使っている人を見たことがない。理由はなにか子供じみた頭の悪さを感じさせるため、いい大人なら使うことを躊躇してしまうからであろう。
そんな中、恐らく中年といわれる年齢であるのに、いまだ嬉々として使い続けている黒崎さんは稀有な存在といえるだろう。


ところがである。黒崎さんに強い影響を与えたことで知られる、コピーライターの北澤浩一さんも実はバトルという幼稚な単語を多用しているのである・・・・・・・もっとも北澤浩一さんの場合は、車に乗っている際の小競り合いをバトルと称する場合が多いので、黒崎さんとは趣が若干違う。*2
その中でも、車関連じゃない箇所を以下に引用してみます。


緑色の坂の道

March 18, 2006
「緑色の坂の道」vol.3686
 
       夜の海で。
 
■ また、短い旅に出ていた。
 重くてすこし密度がある。
 48時間ばかり続けて座っていると、こんどは尻のあたりが不調になる。
 途中いくつか仮想のバトルを眺めていた。
 すると実は相手が屈指のカルトであるということが分かってくる。騙されたり騙したり、他人を操作する術は一定部分で成功したが、それがあまりに性急なので、知らずに糸がほころんでくる。
 
■ 一体に、緻密な計算というものは、そのひとつの前提が崩れると後が続かないものである。旧日本軍の参謀には、そうしたタイプの男がいたと何処かで読んだことがある。
 筋書が狂うのはたいてい中心にいる女からで、今まで重要な役を果たしていたものが突然裏返る。
 彼女にとっては自然な流れなのだが、その自然さが理解できない。

 

May 12, 2005
「緑色の坂の道」vol.3101

       ブログと選民。
 
■ ブロガーという言い方があるが、大抵は自らのことをそう呼ぶ。
 そこでは一定のルールのようなものがあるらしく、疑問をはさんだりすると荒らしなどと糾弾される。
 つまりは、かつての草の根ネットでのバトルを拡散し個別化したものである。
 道具は変わっていても、やっていることはたいして変わりがない。 
  
■ ところがですな、自分が使っている道具が一番だと思っているひとが案外に多いことに驚く。先月始めて自分でPCを買ったんだと。携帯のデジカメで全てが撮れるのだと。
 極めて低い技術的敷居の上に、結構なモノイイが載せられているのが今の時代で、編集者のレベルというかなんというかも、以前とは異なってきているのだと思って眺めていなければならない。
 どうでもいいことではあるのだが。

 

December 11, 2004
「緑色の坂の道」vol.2867

       かげろう 2. 

■ 古くからの読者はご存知かも知れない。
 今やっていることの原型は、ほとんど全て yomine の文芸にあった。
 yominet とは、読売新聞社が運営していた有料会員制のインターネットサービスである。私は読売から業務委託を受け、文芸フォーラムの執筆と運営を行っていた。
 今、青瓶を仕切っている甘木君は、当時の助手である。
 当時はサボってばかりいるイタシカタのない青年であったが、昨今更生して、渋谷NHKのすぐ傍に住んでいる。色物のYシャツと深夜の饂飩さえやめれば、仕事も遊びも一番いい時であろうかと思われる。
 yominet はよくAネットと比較されていたのだが、後者は実をいうと某新聞とは関係がない。確か別会社になっていたような記憶がある。
 筒井さんの「電脳筒井線」があった故か、Aネットから溢れた文芸趣味の方々が yominet に流れ込んでくることがままあった。壮絶なバトルになることもあったが、適宜駆逐されている。
 ふりかえると yominet は、クローズドな世界ではあったが、今インターネットの世界で起きていることの多くはそこで先行体験できたように思えている。
 とりわけ、書くことと人間関係に関してである。

 

August 23, 2004
「緑色の坂の道」vol.2720

       かつて不良だった市民。

■ というのは手ごわいものである。
 それは行政を含めた組織というものを知っているからで、実社会であれネット上であれ、ひとたびバトルがあった場合には腹をククル。
 谷口ジローさんの漫画には、やや小太りの上着を着た男たちが、その配偶者と犬とともに出てくるが、それはいかにも東京よりも西の方角の町並みと意識であった。

一応留意しておくべき点は。
2005年5月にはガ島という人のブログが炎上したらしく。
その中心メンバーは黒鮫さんであったらしいということ。
そして、2006年3月には松永さんとその周辺の人たちへの
嫌がらせを黒鮫さんが中心になってやっていたということ。


あ。もちろん偶然だと思いますよ。私は。


脳内ではこんな感じでノリノリなんだろうか?


それともこんな感じ♪


ドウシタラヨカトピア

*1:以前バトンタッチ?で引用しました。

*2:まぁ程度が低いのは同じですがw