黒崎さんが語る山本一郎

wakame19772007-09-13

※ 北澤浩一さんや森 輝秀さん、青瓶軍団の話題ではありません。


有名ブロガーに嫌がらせを繰り返していた黒崎さん。
今話題の切込隊長こと山本一郎氏に関しても、過去に言及しておりました。
場合によっては、山本氏などはターゲットになっていたかも知れませんね。

2006年04月27日

黒崎@夜話

>このインタビューの広告効果を、黒崎さんはかなり楽観的に見積もられていますが、当初のカウンターはもちろん想定の範囲内だろうと思います。
事実をどう評価するか、その評価の仕方に操作の作用が生じるのであり、世界観は事実ではなくそれをどう見るかというイデオロギーによって左右されます。
その、ひとつの物差しを提示したという意味において、じわりときいてくるのではないかと懸念しています。


standpoint1989さんの分析、鋭いですね。特に前半、中頃はまさにその通りだと思います。
引用させてもらった部分について言えば、実は私も、うかうかはできないだろうという印象を持っています。これくらいの広告戦略にひっかかる方々というのは確かにいる。圧倒的多数かもしれない。
けれども、全体として眺めた場合、例えば泉氏、R30氏、松永氏。加えて湯川氏などが醸し出していたある種の幻想というのは、一方で確実にその効力を減じてきていることも確かだろうという気もするのです。
少なくとも半年前の高揚というものはない。
例えば少し前の日経の一面に「短命のカリスマ」だったかで、切込隊長のことがとりあげられていました。彼もまた、一年前の勢いは乏しい。


マーケティングや、セルフ・ブランディングの観点から、これを分析してゆくことはできるでしょう。例えば鈴木氏が書いていたように「ネタ」としてあらゆるものを消費してゆくという仮説。そのカラクリの中に自らを置く。自らの行為を「ネタ」であると高をくくってみせる。
例えばR30氏の今回のやり方は、その文法にのっとったものでした。
それに喝采をあげる層というのは、確かにいます。
泉氏が、かつて党首インタビューに成功したことを高く評価することと実は同じ構造なのですが、実を言うとこの手法には結構厄介な特徴があります。
それは常に踊り続けなければならないということです。


今回の松永インタビューで面白いと思ったのは、松永氏は作家になりたかったとのこと。
ゴーストやその他、いくつか作品を書かれているようですが、まあ読みたいとは思えないかな。ハルマゲドン的世界観は、勘弁してくれという。
ゲッベルスは「なりそこねの文士」であったという歴史的な事実を思い出しますが、私はR30氏もまた、創作の方向に進むべきかを迷った一時期があると推察しています。
それでは経済的に厳しいので、それと正反対の方向に進んだと。
けれども、あの読みにくい長文の後ろには、一時は創作を目指したことのある屈折や高揚、自尊心の高まりなどが、かなり強い不安とともに隠されているように思えます。
彼らは、ネットにおける自分の存在そのものを、ある種の物語にしているのでしょう。
これは、程度の差や方向性はともかくとして、泉氏などにも通じることだと感じています。
ちょっと話が脇道に逸れました。
まて、次号。


初出:Apr 27, 2006 7:51:55 AM
http://ultrabigban.cocolog-nifty.com/ultra/2006/04/gripblog_2b25.html#comment-7550054
posted by 黒崎 at 07:53 | TrackBack(0) | 夜話

2006年05月04日
「さてな ?」のゴ
黒崎@「さてな ?」のゴ


ここで名前の出ている「切込隊長」は、当時ブログ界のカリスマであった。
今は「短命のカリスマ」として日経一面で揶揄される存在になってしまっている。
それはそれでいいのだが、今回、切込氏の役を演じてもらおうとしたのは誰か。
それはどういう企画で、それがどういう世論を巻き起こしたのか。
ブログが「マスゴミ批判」で盛り上がっていた当時と今とでは何処がどのように違うのか。

主観的情勢と客観的情勢の相違。という言い方があるそうだ。
そんなことを踏まえながら「独断専行」という単語を記憶しておくべきだろうと思っている。
posted by 黒崎 at 02:31 | TrackBack(0) | 夜話



何だかなあ氏
面白い物語つくってますね。訴訟になると例えばオウムと泉さんの関係性などは論点のひとつになってくるんです。違うということを泉さん側が前提として証明しなければならない。立証責任は訴えた側にあります。だから中頃のお話はあなたの創作ですね(笑)
どうもあまりそういった方面の経験がない方のようにみた。
弁護士報酬基準が訴訟の目的額によって規定されているということをご存知ですか。
また、訴訟になりますと、本サイトのサーバーを借りている名義人 梅某氏のフルネームも前提の証拠として出さなければいけませんが「ああたそれでようござんすか」(夏目漱石夢十夜」豚に臍を嘗められる夢より)。

ま、ここを読まれている大人の方々には既にしてお分かりだろうと思いますが、とてもツマラナイ恫喝のひとつです。書き込んだIPアドレスから個人を特定できるとするならば、切り込み隊長もコガイ氏もとっくに訴訟していますね


Posted by: 黒崎 : 2006,03,14 : 05:05

2006年10月17日
長い余話
黒崎@長い余話


ネットとカルトを語る際、「境界例」という概念を理解しておいた方がいいと思っている。ざっと調べてみてください。厄介でゴンス。
「転移」と「逆転移」そして「対人関係の操作」


加えて、盛んに脱洗脳の困難さを語る人がいた場合、その中に社会的論点の拡散と、何処かで見た「我々も皆同じ」という誘導が含まれていないかを注意深く点検すべきだろう。文中に「生き方」とか「知性」などという単語が唐突に入ってきたら、それもまた要注意である。
誰かを権威にして、それによってお墨付きがついたと話を流すことも、当然のことながらおかしな話である。


次に、アルファ・ブロガーとかいう呼び方は誰かが人為的に作ったものであることを想起されたい。何のためにであったのか。
例えば切り込まれた級長という方がいるが、彼が新聞紙面に載った時のプロフ、資産○○億の個人投資家ということを、ネットで今誰が真顔で信じているかというと今は昔である。あれはネタ、あるいはヤラセであった。
一日二万PVと日経BPのプロフに書いたガ島通信氏は、カウンターを二回くっつけていたことを読者に指摘されてもいた。

2007年04月04日
黒崎@Blue Heads


昨年の6月、私は「虫食いの茶番」という「夜話」を書いていた。
http://kurosaki-yowa.seesaa.net/article/19686490.html
「どうでもいいと言えば、松永氏らしき人物を巡ってあれこれがなされている。
私は彼の活動にも精神生活にも興味はないので、眺めてはいない。
彼に文才があると評価する声もあったが、私にはそう思えた試しがなく、全盛期の切込氏のそれとどう違うのか、区別がつかなかった。
自意識の強いライターの文章だと思う」


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思い出せば、当時の認識はそうだった。
昨年秋口くらいから、ある方が、具体的にはBB氏などが執拗にネットストーカーに絡まれていたものだから、なんというか浮世の流れで言及することになった。
何度かやりとりをしたのだけれども、残念ながらその部分での認識は変わってはいない。
すぐにDAT落ちしてしまうのだが、
http://live25.2ch.net/test/read.cgi/market/1174612713/
2ちゃんねるのこのスレッドを見ていただきたい。
DAT落ちした場合には、その続編を捜していただければ分かると思う。


通り名が切込隊長と呼ばれる方の、数年に渡る炎上の仕草である。
ここでは見覚えのあるネットストーカーが登場し、手もなくひねられていた。
posted by 黒崎 at 06:18 | TrackBack(0) | 夜話

ドウシタラヨカトピア